昭和限定!【世界最強タッグ決定リーグ戦】名場面5選

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【81世界最強タッグ決定リーグ戦】入場式風景
本日のお題

プロレス界の無形文化遺産それが「世界最強タッグ決定リーグ戦」

年末と言えば「世界最強タッグ決定リーグ戦」そんな風に思っていた20代の頃
昭和から平成20世紀までは、毎年楽しみにしていた「暮れの祭典」

結婚したからか、馬場さんが死去してからか、全日本プロレスが分裂してからか
恐らくこの3つが最大の理由かもしれませんが、21世紀に入る頃には
参加チームも優勝チームもいつ開催されたか終わったかもわからず仕舞い

プロレス見始めた頃、小学生だった自分はクラスメイトと
「世界最強タッグ決定リーグ戦」(83年)星取表を作って

「ハンセン・ブロディが全勝優勝するのでは」

「馬場・ドリーの年寄コンビが優勝するのでは」

「いやいや鶴田・天龍が奇跡の優勝してほしい」

もう40年近く前の昔の話ですが、この時代の純粋な自分に戻りたいですね(笑)
今なら、これはアングルだのブックだの手垢ついた観戦しか出来ませんからね。

ここ数年どころか20年以上も関心寄せておりませんでしたが
ネットニュースに明日から「2022世界最強タッグ決定リーグ戦」が開幕と

コロナなのか時代なのか、昭和の時代のように
北は北海道へ、南は九州まで全国行脚して最後は武道館(初期は蔵前国技館)で決勝。

プロレス界の「無形文化遺産」「ベストセラー」シリーズの名場面を
自分の記憶頼りに5選ご紹介できれば記事してみます。

世界最強タッグ決定リーグ戦 激闘の歴史

若林アナウンサーがナレーションして90年に放映された番組ですね
自分も当時は日曜日の24時30分で眠い目こすりながら見た記憶がおススメ動画であります。

オープニングとエンディングの「オリンピア」だけでも感動ものです!

【世界最強タッグ決定リーグ戦】はオープニングピークに?

【83世界最強タッグ決定リーグ戦】入場式シーン

【世界最強タッグ決定リーグ戦】の風物詩と言えば入場式!

映画やドラマでは普通序盤は退屈な展開だけど
進むほどにクライマックスへ!

これは、映画やドラマに限らずプロレス興行でも必須なのですが
【世界最強タッグ決定リーグ戦】はこの入場式こそが最大の見せ場
2メートル近い大男たちが20人近くリング上でも壮観

で、最初は大人しく入場しているのですが
最後はこのような乱闘に。。。。。。

やっぱり一番印象深いのが【83世界最強タッグ決定リーグ戦】入場式
この年は今見ても超豪華メンバーであります!

馬場さん・ファンクス(テリーは最初の引退中)、ハンセン・プロディ
マスカラス兄弟、鶴田・天龍、シン・上田などなど豪華メンバーですが
今現在、存命中のレスラーが少ないのは本当に寂しい限りです。

3:20あたりの馬場さんが入場する時
リング上では乱闘が繰り広げられおりますが
「なにやってんだ」という顔もいいですね(笑)

入場式の乱闘と同じぐらい忘れていけないのが
ロード・ブレアース氏、役職はPWF会長という肩書ですが
開会宣言していても1度もまともに聞いているファンはおりません(笑)

当時の全日本プロレスファンからは


「馬場さん所有のハワイの別荘の管理人」


「ドウモアリガトウ以外の日本語話せ!」


「ケンタッキーのカーネルサンダース」などなど言われてましたが

こちらの動画だとかなり幅広く活躍されていたそうですが
昭和のプロレスファン及びアラフィフはほぼ知らないままです(笑)

当時は、最前列で観戦して冬の味覚を味わいに1か月近く
アゴアシ付き(相撲用語で食事・宿泊費・交通費付きの意味)で
羨ましい名誉職だと本気で思ったものです。

92年の最強タッグの時に写真とサインもらいましたが(紛失しましたが)
当時でも相当足が悪くてリング上がるのにも一苦労の印象が
背は自分より相当高くて優しい老紳士で
一応PWF会長の自覚はあるらしくサイン色紙に「プレジデント」とありました。

話が毎度脱線してしまいますがここから名場面5選スタートです!

昭和限定!【世界最強タッグ決定リーグ戦】名場面5選

【5位】ミステリアスパートナーはラッシャー木村だった!(84年昭和59年)

【84年世界最強タッグ決定リーグ戦】入場式

まずは、第5位からこの年の最強タッグは前年優勝のハンセン・ブロディと鶴田・天龍組は確定
ですが前年参加した馬場・ドリー組がなんと!弟テリーファンクが1年ほどで復帰

前年、テリーが引退するからと小学生の自分はお年玉を使わず
横浜文化体育のリングサイドを購入してからの復帰の落胆。。。。。

でファンクスが復帰して、更に新日本からキッド・スミスも引き抜きに
レイス・ニック組とか世界王者コンビなどなど歴代でもかなりの豪華メンバーですが

困ったのが当時の馬場さん、まだまだ第一線でとはいかないまでも興行の顔なので
全日本プロレス最大のリーグ戦を参加しない選択肢はありません

発表も「ミステリアスパートナー」と明記されておりました

こちらのパンフレット右下のパートナーが「?」マークに
当時は、新日本プロレスとも引き抜き合戦が起こっており
アンドレがパートナーでは(後々実現しますが)
ローデスかバックランドなどなど噂のぼりましたが

結果は「ラッシャー木村」でありました

すぐに、仲間割れして、その後は「マイクの鬼」となり
再びコンビを組んで「義兄弟コンビ」を結成

このコンビでの天龍・ハンセン組も名勝負でランクインと思ったら
平成元年だったのでランクインならずですが
まさか、後々ラッシャー木村がこのような道をたどるとは誰も想像つかなかったでしょう。

【4位】歴代ラリアット一番の衝撃!ハンセン・ブロディvs鶴田・天龍(83年昭和58年)

昭和の最強タッグ5選でありますが、どうしても初期の最強タッグはほぼ後付け視聴で
オンタイムで記憶があるのがハンセン乱入からなので82年からはオンタイムですので
どうしても「世界オープンタッグ選手権」とはなかなか選びにくいのが実情です

こちらを選出したのはズバリ「試合内容」
昭和のプロレスはほぼ決着つきません!

両者リングアウト・反則勝ちや無効試合などなど
今考えると本当にファン無視の興行の連続であります。

ですのでこの時代の大一番がきっちり決着付くのは
非常に珍しいケース。一昨年も一応超獣(ブロディ)がドリーに勝ちましたが
ハンセン乱入というアクシデント込みなので完全決着と言うといささか疑問符が

この時代は、インターネットもなく、小学生なので「東スポ」買うわけもいかず
そもそも駅から歩いて30分の住まいでコンビニなど近所にない時代
当時の全日本プロレスは、土曜日の夕方5時30分からなので当然録画中継ですが

周りから情報が入ることもないので録画中継なのにほぼリアルタイムで観戦気分
今の時代ならあり得ませんが便利過ぎる世の中も弊害があるのかもしれません

当時の4人の組み合わせだと、天龍がやや格落ち
プロレスというジャンルは実力でランクを図るのでなく
この不思議な「格」というものが存在するのがこの頃薄々気づいた時代

最後は、天龍がハンセンにラリアット喰らってスリーカウントですが
ハンセンのラリアットはテレビでも会場でもそれこそ何百と見ましたが
この試合のラリアットが一番の破壊力かと時点が、武道館の川田戦ですかね

この頃までが純粋にガチンコで勝負決めてると本気で思った最後の大会で
逆に、このぐらいの純粋さが懐かしく思える思い出の一番でありました。

【3位】最初で最後の超獣コンビ(ハンセン・ブロディ)対決(87年昭和62年)

87年(昭和62年)は全日本プロレス最初の激動の1年だったかもしれません。
2月のシリーズから長州力が欠場してからの新日本プロレスへの出戻り

興行にすっぱり穴が開いたところを天龍・原の「龍原砲」が活性化
この当時は新日本プロレスに選手がほとんど在籍して
しかも、日本人vs外国人の図式もWWE(当時はWWF)がアメリカで無双状態

その絡みで有力な外国人レスラーは全日本プロレスに限らず
ほぼ同じ外国人で構成されている状態でこりゃ崩壊なんて噂もありましたが
逆に地方のどんな小さい会場でも手を抜かいファイトで活性化してからの

「暮れの祭典」(最強タッグの別名称)でしたが
ここで何と、一度裏切った人間は絶対許さないはずの馬場さんが
何と最強タッグでブロディとブッチャーを復帰させることに
※ブロディは確か全シリーズに来日してたと思います

ブロディ復帰ということで、当時のファンはハンセンとのコンビ復活で
ゆくゆくは仲間割れしてからのタッグ対決で更にシングル対決と
夢が膨らんだイメージでありましたが

何と!

コンビは解消!

お互いパートナー携えての対決が実現!
開幕戦の翌日だったような記憶があります。

ファーストコンタクトということもあり顔見世対決ではありましたが
後楽園ホールということもあり熱気と会場の臨場感で迫力が伝わる試合に

と言うのも、この試合立ち見でもいいからと始発で並んで購入して観戦
この記憶だけは鮮明なのですが他の試合は全く記憶がありません。

普通に天龍・鶴田やブッチャー、馬場さんに輪島も居ましたが
どんなカードで内容も全く記憶ないのでこの一番のインパクトが絶大だったのでしょう。

翌年の夏に、ハンセンvsブロディがほぼ決まりかけた直前に
ブロディはプエルトリコで刺されて亡くなることに

後々、渕選手がテレビでこの後に

鶴田・ブロディvs天龍・ハンセン

の実現を馬場さん模索していたとか当時なら東京ドームでやれそうなカードでしたが
逆に最初に最後の対決だからこそ今も語り継がれるのでしょう。

【2位】最強タッグの歴史はここから!ファンクスvsブッチャー・シーク(77年昭和52年)

もし、この試合がここまでインパクトなく終わっていたら
決勝が、ファンクスvs馬場・鶴田で普通の試合展開だったら!

現在は【世界最強タッグ決定リーグ戦】はなかったかも?

元々の名称は「世界オープンタッグ選手権」としてスタート
この年も相変わらず新日本プロレスが挑発行為を繰り返します

一昨年も、猪木の挑発行為に逆説的というか馬場さんらしい回答で
「世界オープン選手権」を開催してそこで馬場・猪木戦をと表明するも実現せず

そして、この2年後には今度はタッグの日本統一と言い出します
当時は、テレビ局と専属契約をしているので実現出来ないのを知った上で挑発

で、今度も「世界オープンタッグ選手権」と銘打ち開催
当時は3団体時代で、国際プロレスは参加するも新日本プロレスは不参加

当たり前ですが、テレビ局との契約違反して最悪放映中止や違約金払って
他団体に協力するわけないので、ここでも挑発行為の抑止力に

「暮れの興行は当たらない」

そんなジンクスがあったそうですが、
このオープン選手権は大成功して【世界最強タッグ決定リーグ戦】となり翌年から現在へ
でも、もしこの試合が壮絶でなかったら恐らく続かなかったかもしれません

90年代のデスマッチ隆盛時代ならさほどでもありませんが
当時はフォークで腕を刺すシーンは本当にショッキングだったでしょう

ただ、自分はこの時代は幼稚園児なので見ることありませんでしたが
後々、テレビや動画で見ると観客のボルテージ熱は凄く
ゴミやミカンがリングに投げ込まれます(ミカンは時代ですね)

で、当時リングアナの力道山長男の百田リングアナが「物は投げないでください」と連呼

散々、餌食になったテリーファンクが「左ストレート」
倉持アナが「男のロマン」と絶叫しますが
当時オンタイムで見ていたら同じ気持ちだったでしょう

最後は、ジョー樋口を攻撃してブッチャー・シークが反則負け
普通なら不完全決着となりそうですが、壮絶な展開に裁定にも皆納得

でも、オンエアは77年12月24日
いくら当時はクリスマスイブとか騒がないとしても
クリスマスイブにフォークで腕刺しシーンを放映した日本テレビに「天晴です!」

試合見てて思いましたが、レフェリーのジョー樋口が
まあ、反則行為を繰り返しても見て見ぬふりの名演技

当時は、本当に失神ばかりして絶対に満員電車乗れないと本気で心配しましたが
会場でジョー樋口さん腕触ったけど筋骨隆々でとても60代には思えませんでした

でも、子どものころは何で試合ぶち壊すんだと本当に憎みましたが
この動画を見ると見事な位置取りで計算づくだったのが理解できますが

この動画今のテレビのバラエティー番組より全然笑えますね
昭和の古典芸能の脱帽です(笑)

【1位】【プロレス史上最大の乱入劇】遂に、あの男が動いた!(81年昭和56年)

1位は、正直ファンクスとブッチャー・シークが世間では1位かもしれませんが
自分的には、この「ハンセン乱入」が恐らくプロレス見た中でも1位であること間違いないです。

「ハンセンですよ!」

解説の山田隆氏のこのフレーズは40年以上経ても色あせることはありません

この試合ほど、入場シーン、試合経過、試合後の乱闘、馬場さんの「ふざけるじゃないよ」発言
プロレスの全てのエッセンスが見事に含まれぶつかり合うことなく融合された試合。

この試合だけで以前記事にしているので、割愛いたしますが
もし、この試合見なければプロレスファンにはならなかったので文句なしの1位にいたします

0:58で馬場さんの「ふざけるんじゃないよ」発言
どこか顔がにやけておりますが、発言慣れしてないせいかしてやったりの顔かはわかりませんが。。。。。

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ただ、こちらの著書でハンセン自ら
前の晩に百田長男の車でホテルへ行き、ファンクスや馬場夫妻とも打合せしてからの乱入劇

これを読んだのは21世紀に入ってからですが
かなりのショックを受けた印象でありますが
未だにこんなに記事書けるぐらい思いいれあるのでダントツ1位で締めくくらせてもらいます。

【まとめ】世界最強タッグ決定リーグ戦は永久に不滅です!

まだまだ、語り足りないです(笑)
ブロディとマスカラスの不穏試合プラス田鶴浜弘の「スターウォーズの連呼」

シークの火炎殺法やテリーファンクがラリアット喰らってからの「みの虫」状態など
年末に最強タッグ見て来年もいい年に思った生活が続いていつからかなくなりましたが

今回記事にして大好きで夢中に見ていたころを懐かしく思い出させてくれました
もう、馬場さんを始め鶴田・ブロディ・アンドレ・レイス・ニック・ロビンソン・シーク・スヌーカ・阿修羅原・上田・大木金太郎・ラッシャー木村・三沢光晴・テリーゴディ・ウィリアムス・ファーナス・オブライト記載漏れの方すいませんが動画内でしかファイトは見れません。

自分の人生で暮れの最大のイベントは「世界最強タッグ決定リーグ戦」でありました
クリスマスは彼女とかあまりいなかったのでほぼ不参加でしたしね(笑)

最後に、日時など記憶頼りに記事にしたので間違っている場合ありますのでご了承ください

締めくくりは、やっぱりこの曲で!


コレ、今読まなくちゃ!

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