ジャイアント馬場「101回目のネックブリーカー」徹底考察!

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ジャイアント馬場「101回目のネックブリーカー」徹底考察!

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1月31日16時4分。
2024年もこの時刻を刻むことに
この時刻は「ジャイアント馬場」さんの亡くなった日時

もう早いもので、25年の月日が
いつもこの時期の日本テレビ「笑点」では故三遊亭円楽さんが必ず馬場さんのエピソードと哀悼の意を口上で語るのですが、その円楽さんもお亡くなりに、で自分が言うとおこがましいですが、昨年から勝手に語り部として記事にしておりますが、前回が「16文キック」でしたので今回は予定調和ですが「ネックブリーカー」になります。

昨年の記事はこちら!

こちの方も「馬場愛」半端ない動画をご紹介しております

自分も大昔。三条市出身の友人に案内してもらい「馬場家詣」を勝手にした記憶がありますが、実家は商売(青果商)されておりましたが、90年代にも当然ですがもぬけの殻状態でありました。(写真がないのが残念)

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この動画は何度見たかわかりません(笑)
で、今回考察する予定の「ネックブリーカー」は当然1:50周辺の画像のジャック・ブリスコへの一撃。「101回目のプロポーズ」に例えてタイトルつけましたが、それこそブリスコへのシーンは101回目どころか300回以上見た記憶が、あながち大げさでなく恐らく日本テレビの中継でもトータル101回は流しているぐらい有名なシーンであります。

実際のシーンは後々見ることとなるのですが、当時3歳ぐらいの自分が見るわけないのですが、あれだけ放映されて後々YouTubeなどで視聴していると自分は当日鹿児島の会場で見てたのではと錯覚する思いです。

ジャック・ブリスコはチャールズ国王に似てると思うのですが。。。。

この試合は、「戦わずして勝つ」

ジャイアント馬場さんの真骨頂の試合でもあります。時代背景的には、全日本プロレスvs新日本プロレスのバチバチの関係初期というところでしょうか。ライバル団体のアントニオ猪木が大物日本人対決をすることで最後の大物対戦相手が馬場さんと挑発を続けます。

当然ではありますが、当時のプロレス団体はほぼテレビ局の子会社状態なので、お互いテレビ局と専属契約を結んでいるので対戦などは行えません。良識ある馬場さんはそんな事情は百も承知なので「黙殺」を貫きます。

ですが、当時は「馬場が逃げた」と風潮され続けて、人気も勢いも新日本プロレスへとどんどん傾きます。そこで、「戦わずして勝つ」策士キラー馬場が考えついたのが、猪木は日本一名乗るの勝手だけど俺は世界一のタイトルを獲得して「寛ちゃんあんたとは格が違うよ」(もちろん本人いいませんが)と見せつける試合が、この1974年12月2日鹿児島県立体育館で行われたジャック・ブリスコ(王者)vsジャイアント馬場(挑戦者)の大一番だります。

そして、タイトル移動にかかる費用が何と2000万!

NWA王者獲得資金は何と2000万也!

こちらの動画によると王座移動費にかかった費用は2000万円。
勝った負けたでタイトル移動するのだから費用かかるのおかしいだろうと言う方も居ると思いますが、プロレスのタイトルといものは団体が管理しているものなのでレスラー個人に所有権は基本ありません。

ですので王者は団体。こちらでは当時アメリカを牛耳っていたNWAという例え言うなら商店街の各店主の集まりのような関係でその組合で決めたレスラーが王者になるシステムであります。

ですので、管理はNWAが行うのでレスラーが勝手に相手に勝ちを譲ってタイトル移動させて相手に箔をつけるような行動させないようにレスラーからは供託金を徴収してそれが当時のお金で700万円。

そこで、新日本プロレス及びアントニオ猪木に押されっぱなしの馬場さんが打った対抗策が、世界一権威のあるタイトル「NWAタイトル」を獲得することで猪木のとの格の違いを見せるというものでした。

自分ぐらいのアラフィフ世代には本当にこの「NWA王者」というものは凄い権威と威光を放ったもので、当時の実況で倉持アナが「NWA王者は1日2時間しか寝れないハードスケジュール」とか言ってましたが、今思えば残りの22時間何をしていたのか疑問であります。後の王者のハーリーレイスなどはどう見ても練習やトレーニングに費やしている体型に見えなかったし。

そんな、複雑な政治が絡むのがNWAタイトルですが、馬場さんと日本テレビが獲得へ動き出し、見事にタイトルを奪取するのですが、そこで最後のフィニッシュがこのシーンであります。

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恐らく馬場さんファンの聞けば99%がこの「ネックブリーカー」が一番と答えるでしょう。馬場さんが技に入る体制、ブリスコのやられっぷり、そしてカメラアングルが最高で全てが見事に融合した「ネックブリーカー」であります。

で、何でこのタイトル移動が2000万とか、自分が別に読んだ書籍では3000万と記憶してますが、別の動画の方だと6000万とありますが、真相は当時の関係者ほぼ全てお亡くなりになったので闇ですが、勝利会見時に馬場さんが「必死に権利を獲った甲斐がありましたよ」と発言したのが噂の真相のようです。

どうりで、やられたブリスコも試合後もしばらくダメージダウンして馬場さんの勝利を盛り立てるのも妙に納得しちゃいました。

外国人天国と言われた「全日本プロレス」ですが、このシステムを馬場さん存命中まで続けることが結果的に三沢さんたちが離脱して「プロレスリングノア」へ駆り立てますが、馬場さん存命していたら団体分裂なかったと言われますが、いずれは離脱していたのかと自分は思ってしまいます。

【番外編】最後の会心の一撃!もう4人ともこの世にはいない

もう4人ともリングに上がることはないと思うと感慨深いです

数々の「ネックブリーカー」を全日本プロレスファン・馬場ファンとして見続けましたが、晩年で好きなのがこちらの一撃。寄りかかり16文からのネックブリーカーで当時飛ぶ鳥を落とす勢いの「ゴディ・ウィリアムス組」を撃破してしまいます。馬場さんの意地のこもった一撃であります。最後決まった瞬間の解説の竹内さんの「入りましたよ」と驚きの声からしても、えっ勝っちゃっていいのというのが当時のファンの思いでしたね。

本日は「王道忌」なので
16時4分に馬場さんが大好きな
「豆大福」を食べながら
ご冥福をお祈りいたします

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