ドリー・ファンク・ジュニアのギャラは1000万也!

  • URLをコピーしました!
本日のお題

ドリー・ファンク・ジュニアのギャラは1000万也!

鬼気迫ると言えば聞こえのいい画像ですが。。。。。

昭和のどうでもいい話題は記事にしておりますが、自分の記事の中では何故かこのドリーネタがダントツであります。前回は4年ほど前に最初に記事にしたのですが、今もって読まれているので「グレートテキサン」は偉大なりです。

今回は、みんな大好きお金事情の話ですが、ドリー・ファンク・ジュニアのギャラが1000万円との話が別の方の動画や記事で散文されておりますが、確か自分も日本プロレス時代でNWA王者(プロレス界では世界一の権威のタイトル)で来日した際に、3週間で1万ドルで当時のレートが360円だったので日本円で1080万円と言うのは確か当時の日本プロレス中継のスタッフさんの著書でも読んだ記憶があります。

リサイクルストアあかつき
¥4,109 (2024/01/29 09:32時点 | 楽天市場調べ)

自分の記憶違いでなければこちらの著書だったと思いますが、20年前の著書なのと自分も現在所有していないので間違っていたら申し訳ありません。この当時は、自分は生まれる前の話なので後々書籍などの知識でありますが、何と当時の日本プロレスの中継は週2回。しかも2回とも午後8時からの一番のゴールデンタイムだったことを考えると、当時一番の触れ込みのドリー・ファンク・ジュニアに3週間で1000万円というギャラはあながち法外でもないのですが

その後、日本プロレスは崩壊の道をたどり、ドリー・ファンク・ジュニアは馬場さん率いる全日本プロレスを主戦場としますが、77年「世界オープンタッグ選手権」で弟テリー・ファンクの人気が大爆発してファンク(兄弟コンビの総称)は全日本プロレスにとってはドル箱外国人となっていきます。

更に、全日本プロレスを創設する際に、お父さんのドリー・ファンク・シニア(ややこしいですが)が尽力を凄く尽くしてくれて直後に亡くなってしまい。馬場さんの社長室のデスクにはお父さんの写真が飾られたそうです。

ですので、馬場さん全日本プロレスにとってはドリー・ファンク・ジュニアは大功労者で義理人情の厚い馬場さんは全盛期を過ぎて正直人気もないので興行と言う点では貢献度が薄くても年に2,3度は来日させておりました。

そして!

ギャラも3週間10000ドルで同じ!

1000万円払う価値があるか信じるか信じないかはあなた次第です!

正直、格闘技するような容姿は1ミリもなく当時は北朝鮮のジェンキンス氏と間違われる始末。当然ですがファイト内容も全盛期とは程遠く、馬場さんの温情だけで来日していたのですが、当時は四天王時代でメインでは三沢・川田・小橋・田上の4選手がそれこそ命削るような試合を繰り広げておりました。

自分もこの当時はよく日本武道館などへも足を運びましたが、時にはヒヤリする場面も見るほどで後に三沢光晴選手は帰らぬ人になることとなります。そんな激闘を繰り広げている四天王より遥かに高額のギャラをもらっているロートル外国人に対しての不満は当然だったのかもしれません。

秋山・三沢のエルボーがプロレスの範疇越えているものであります

何故、このようなえげつないエルボーを放ったかと言えば、一説には馬場元子さんから(馬場夫人)の指示との噂もありますが何と当時55歳のドリー・ファンク・ジュニアがギャラアップを要求!

これには流石の馬場さんもあきれ果ててここでドリー・ファンク・ジュニアはしばらく来日しなくなりますが、その無謀と言える要求はドリーの嫁さんからのものでした。。。。。。。

その暗躍には史上最大の悪妻の影アリ!

ドリーは3度目の結婚らしく、この奥さんがドリーを操っているそうですが、ご本人もどうかと思いますが

「ドリーに3冠(全日本の看板タイトル)に挑戦させろ」

「NWA元王者に敬意が足りない」

「主人のギャラが安すぎる」等々

こんな主張を重ねられたら元子夫人でなくてもブチ切れますよね(笑)
馬場さんもあきれ果て、最前線で戦ったいる四天王からしても外国人の高額ギャラは不満の種だったこともあり、馬場さんが試合前にそっと三沢たちに

「今日でドリー最後だからわかるよな」と言ったとか言わないとか真相は闇ですが・・

ただ、動画を見る限り本当にえげつないエルボーですし、秩序重んじる全日本プロレスならいくは不満抱えていてもファンの目の前ではあり得ない光景なので馬場夫妻・選手からの不満がたまりたまってのものだったのでしょう。

誰が見てもこの容姿とファイトで1000万円はあり得ません!

最後は後ろ足で砂をかける醜態、、、、、、

当時は「元NWA王者コンビ」として活躍したこともありますが、全日本プロレスを離脱後は何と馬場夫妻の体制やら全日本プロレスをあることないこと悪口を言う始末、「立つ鳥跡を濁さず」と言いますが、このドリーや奥さんには通じない格言であります。

自分のように長く全日本プロレスを見てきたファンとしたら本当にドリー・ファンク・ジュニアに関してはかなりの好待遇で晩年まで面倒見てもらっていたのにこの仕打ちが本当に酷いものでありますが、晩年というか現在もですが、シレっとPWF会長と名乗って全日本プロレスに復権を果たしております。

「馬場さん没後20周年興行」にも小遣い稼ぎに来日して会場の売店でせっせと奥さんに知り叩かれて商売しておりましたが、ドリー・ファンク・ジュニアは本当に奥さんに頭上がらないようですね。

お互い嫁さん選びには
慎重にならないと
いけないのである!

【昭和プロレス徹底考察】人気関連記事はこちら!

コレ、今読まなくちゃ!

  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

CAPTCHA


本日のお題