もし、ベイスターズが2011年に新潟へ移転していたら?
2023年もプロ野球が開幕。いきなり4連敗しかも阪神相手に3連敗と毎年のスタートダッシュ失敗で今年もと思ってからの4連勝で現時点(4月10日)で4勝4敗の5割でまずまずの出足で打線も少しつづエンジンかかってきたようでここから本勝負にと素人目線で考えておりますが、今は普通に4月は5割でいいとか言えますが、15年ほど前は暗黒時代のど真ん中で5割どころか年間100敗するのかが毎年話題に上るほどに。
今では、全く言われなくなりましたが、「なんでベイスターズファンなの?」という質問それこそ職務質問かというぐらい言われること100回や200回じゃききませんでした。
2000年初頭から2011年の時代は、5割行けばいいとか、自分が観戦時だけ勝ってくれればと思うぐらいのファンが大半で球場は本当にガラガラで自分の息子めがけて当時のマスコットがバズーカーでグッズマシンガンで撃って普通にもらえましたし、スタプリもお客さん少ないので家族づれだと普通に撮ってもらえました。
当時の親会社はテレビ局のTBS。ファンの間でも批判が多かったですが、自分としては30億ともいわれる赤字でしかもほぼ宣伝効果もない状態で球団経営してくれるだけでもとの思いが強くあまり批判的ではありませんでしたが、10年保有しないとNPBへの供託金が戻ってこないということで10年間球団経営をした時点で球団売却の話が・・・・・
それは、2010年のシーズンオフだったと思います。家電量販店や電鉄会社の噂もありましたが、今のリクシルが名乗りを上げたはいいのですが、いきなり本拠地を新潟だの静岡だと言い出すのですが、結果的にリクシルも社名変更で球団買収の噂で知名度上げたところで破断となり1年先延ばしでTBSが球団経営を継続して翌年にDeNAへと売却されました。
ここで当時話題に上がった「移転問題」
「たら・れば」の典型的ではありますが、あそこで新潟へ移転していたらどうなってたのでしょうか?
この少し前に日本ハムが北海道へ、楽天も仙台へと日本ハムは北海道へ移転しからはリーグ優勝や日本一と完全に移転した効果を発揮。楽天も当時の球団誕生プロセス考えると初年度は明らかな2軍レベルでスタートしてからの10年経たずリーグ優勝と日本一。
これを考えると、移転という正に大手術をしない限りベイスターズ再建はないのかと思いました。
直近10年の成績が物語る【不人気球団の代表格】
実際、直近10年間は8度の最下位。勝ち越し0回。90敗以上4回。勝率3割6回。
正直、自分で表作成していたら、こんなに弱かったかなと思いましたが、確かに観戦してもほとんど負けていた記憶しかないので圧倒的に戦力差あったのは確かであります。
プロ野球創成期で戦力バランスの均衡のない時代やドラフト導入以前でしたら同じように弱いチームも存在しておりました。広島・国鉄(今のヤクルト)・近鉄はほぼ負け越し球団もありましたが、流石にドラフト導入以後でこれほど成績振るわなかったのはベイスターズが一番かもしれません。対抗で星野監督が優勝する前の阪神ぐらいですね。
2002年とか2003年あたりでしょうか?グランドに選手がいるので試合中ですがこの観客数です。2列目3列目の特等席ですが周りも空席だらけ。
成績不振もそうですが、プロ野球の場合は観客動員が球団経営を大きく左右するので、横浜では限界と思うの無理もないかもしれない状態でした。自分も個人的には、日本ハムが東京ドームで巨人のおさがり状態から北海道移転して観客も増えて成績残した状況考えると、移転やむなしと思っておりました。
ですが、仮に横浜から移転しても恐らく他の球団が横浜スタジアムに移転するとうのも考えられたので、その時はどっちのファンになるのかと勝手に妄想もしたりしましたが、結果的に横浜残りました。
その後の成績や観客動員考えたら横浜残留は大正解の選択でありました。球団経営の手腕もありますが、プロ野球はおよそ70試合近くを本拠地で開催するのでかなりの大都市でないと難しいので人口の少ない新潟では観客動員での苦戦は免れないでしょう。
新潟移転なら50試合はエンドレス赤字運営!
当時のチーム成績と観客動員考えたら、ちょっとの改革ではチーム再建は不可能なぐらい当時は圧倒的に弱かったので星野監督が行うような血の入れ替え程度では無理なので更なる大手術で移転も選択肢の一つではありますが、新潟で球団運営は可能だったのでしょうか?
恐らく初年度は、物珍しさ初めての地元球団で盛り上がりは期待出来ますが、恐らく5年6年は成績振るわない状態で人口も横浜市4分の1で、横浜市の場合は県内に新潟市と同等かそれ以上の人口有する都市もあり移動は容易。実際、当時かそれ以後かは忘れましたが、専門家の試算でいうには
年間20試合は黒字だが残りの50試合は赤字経営とのこと
今現在ならビジネスモデルも変化しておりますので、試算も正確でないかもしれませんが、当時の状況だとかなり厳しいと言うのが結論かもしれません。ましてやリーマンショックやら東日本大震災もあった中で、年間100億必要とされる球団経営で50試合赤字垂れ流しで経営出来る体力ある企業は恐らくほぼなかったでしょう。
ですが、来年から静岡で2軍だけの球団が誕生するので、ここで球団経営が成功すれば、その後の16球団構想とか夢が広がる話になりそうですが、ホリエモン氏が球団持とうとした際に「仙台が最後の(本拠地)選択肢」とコメントしてましたが、楽天も仙台を選択したので、そう考えるとうなずけるかもしれません。
実際、プロ野球1球団当たりの人口1000万人が適切と言われることも、メジャーリーグもアメリカ・カナダでおおよそ3億人で30球団なので説得力ある説かもしれません。
そんな悲観的な意見ばかりと思いますが、個人的には現在の12球団でクライマックス6球団はと思いますが、消化試合防止にはかなりの効果もあるので恐らく廃止はないでしょうが、これが16球団になるとすっきりするのは確かですが、残り4都市と4つの企業があるだろうかと言う疑問もありますが、プロ野球繁栄考えたら球団拡張には大賛成ですので今後新たな都市に球団が出来ると夢が広がります。
【番外編】新潟移転してたらバンバン番長は誕生しなかった?
ふと思いましたが、当時の球団売却時はまだ一兵卒で働いてた身分でしたので、あのまま新潟や静岡に移転していたら、お店を仮に出店していたとしても横浜スタジアム近くには出さなかったかもしれませんね。恐らく自宅近くに店舗を構えたと思うので、それを考えると球団が横浜にとどまったのことは私事でも歴史的な分岐点だったかもしれません。
本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。
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