【昭和プロレス徹底考察】タザハマさんではなかった!
最近、ブログ記事などで昭和のプロレスの記事などを書く際にネット検索をする場面が増えましたが、ずっと一番右の解説者は「タザハマヒロシ」氏と思っておりましたが、まさか令和の時代での勘違い。
実際は、田鶴浜弘(たづはまひろし)
真ん中の方が我らの?山田隆氏で自分はこの方から多大な影響力を受けました。
ここで書くと話が脱線してしまうので気になる方はこちらに少しばかりご紹介しております
一応?ウィキペディアにも紹介されておりますが、自分ぐらいの世代はボケ爺さんでちんぷんかんぷんと頓珍漢なコメントしか記憶がないのですが、プロレス解説の草分け的存在のようです。
で、何で「タザハマヒロシ」と勘違いしていたのか?
確かに、珍しい苗字で読みにくのは確かですが。。。。。。。
それは。。。。。。。。。
勘違いの源流は「キン肉マン」??
恐らく、アラフィフ世代の全日本プロレスファンほとんどか勘違いしていた原因は・・・・・
「キン肉マン」ですね
自分もキン肉マン読んで、「タザハマヒロシ」と出てきて後に全日本プロレス観るようになると実況席に「田鶴浜弘」氏が居たので、勝手に「あーあこの人がタザハマさんか」と40年以上勘違いしておりました。
正に、「昭和・平成・令和」3世代にまたがる勘違いでありましたが、
正直なところ、誰も気にしない出来事かもしれませんね(笑)
令和の時代に生存なら「第二のひふみん」に?
まあ、この方は解説者晩年は1985年ごろですので、ウィキペディアだと1905年生まれ(明治時代かな)なので御年80歳だったのもありますが、とにかくコメントがハチャメチャでありました。
「コロシアムで殺し合い」
「空軍と海軍…いやアーミーじゃなくてネイビーだ」
「あけましておめでとうございました」等々
しかも、気に入ったフレーズなのか何度も連呼して一緒に実況している倉持アナにスルーされるのが一連のムーヴでありましたがこれも昭和のプロレス風景としては懐かしい限りです。
今回の記事を書く動機が、同じ解説者の竹内宏介氏がマスカラスがハンセンの腕を極めて身動きとらせずシュートマッチを仕掛けたという文面があってこの試合と記載されていたので調べたのですがどこを探しても見当たらなかったのですが、これは竹内氏の勘違いで別の試合だったのですが、おかげでこの試合を凝視したおかげで田鶴浜弘氏の解説が印象的となり記事につながりました。
昭和の風物詩の【花束嬢】オープニングで写っておりますが、40年近く前なので皆さん還暦なのですね。3番目の方が一番タイプでありましたが関係ないですね(笑)
この試合の解説が田鶴浜氏ですが、「スターウォーズ」と「ネービー」「ローリング」ばかり言ってますが、このキャラクター今の時代なら重宝されていたかもしれません。
今、存命でプロレスブームだったら「第二のひふみん」になっていたかも???
本日も最後まで読んでいただきありがとうございます。
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