誰も知らない!「バンバン番長~ねぎとろ番長誕生秘話」

目次

崖ぶっちから誕生した「ねぎとろ番長」

はじめまして!

私は、横浜の馬車道で
「バンバン番長」という
小さい居酒屋をやっている
飛田和晃(とびたかずあき)言います。

飲食店経験は、30年近くありますが
決して、名店で腕を磨いたわけでもなく
むしろ、修行時代は不器用で要領が悪く
今で言えば、格好のパワハラの餌食でした(笑)

そんな、才能もない私が
売り上げ3倍アップを果たせたかと言えば
ズバリ「テレビに紹介された」からであります

その紹介されたきっかけは
こちらの「ねぎとろ番長」

もう一度、言いますが
私には才能も食通をうならす料理も作れません

ですが、テレビにお店が紹介されて
行列が出来る繁盛店に駆け上がれたのは
マスコミに多数紹介された他ありません

ですが、誕生する12年前は
当時勤めたいたお店の売上はどん底

給料の減給・遅配は当たり前
夫婦仲は悪くありませんでしたが

金の切れ目が縁の切れ目
とは良く言うものです。

夫婦なかまでギクシャクする毎日

このままでは!

「40歳過ぎで露頭に迷う!」

「暮れには炊き出しに並ばないと!」

そんな崖ぶっちに追い込まれた
男の大逆転劇が「ねぎとろ番長」であった。。。。。。

何をやっても成功しないなら好きなことして失敗しようと決意!

私のお店が、テレビや雑誌に100社以上紹介されたのは
勿論、自慢でもなければ特別ではありません。

ですが、当時の自分は何とかお店にお客さんを
少しでも売り上げを伸ばそうと必死にもがきましたが

来る日も来る日も失敗続き。。。。。

赤字覚悟でメニューを作り売り出すも
更に、サービスを求めるお客さんばかりで
逆に赤字を膨らませる有様

もう、自分には才能などないし
己の実力を自覚した矢先でありました

いや、正確に言うと
ある一つ特別な違いというか
飲食店最大の武器を手に入れました

それは・・・・・・・・・・・

「看板メニュー」

「ねぎとろ番長」であります。

もう、2010年になります
たまたま、グルメ雑誌からの取材が
そこで、料理を作って欲しいと

その年のプロ野球開幕戦でありました
当時、現役だった三浦大輔投手(現コーチ)が
開幕投手を務めて1度も勝てておりませんでした

そこで、ゲン担ぎと話題作りで
考えたのが「ねぎとろ番長」でした

しかも、当時の親会社はTBS
この丼なら、当時の「朝ズッバ」で
みのもんたさんに紹介されると
妙な自身と確信があったのですが

なんと、ご本人が登板回避で
メニューも幻、お蔵入りする予定でした

そのショックははかり知りませんでした。。。。。

そんな時に、いただいた取材
これをチャンスと思い
取材当日、初めてひと様に出すことに

今でこそ、累計100000食以上で
全国から来店される人気メニューですが

当時は、誰も知られていない
こんな、珍名つけて売れないと恥ずかしい
作った当初はそんな心境でした

「神奈川庶民食堂」という
完全なローカルグルメ雑誌でありましたが

この時は、妙な自信というか
これは絶対に売れるという確信がありました

ですので、こちらの雑誌発売で宣伝して

ついに「ねぎとろ番長」が日の目を見ることに!

そして、雑誌が発売されると
今まで、誰も見向きもしなかったお店に
新規のお客さんが週末中心にやってきました

ですが、所詮は雑誌の記事
今の時代のようにネットやスマホも
そこまで浸透しておらず

当時は横浜市場内のお店
市場関係者以外は知らないのは当たり前

しかも、お店は市場内の一番奥ある
正に「陸の孤島」状態!

2010年6月に販売して
半年もしないその年の11月には

1日0食は当たり前
週末でも1食2食という惨状

今現在(2022年8月)は
店内に入りきれないお客さんとは大違いであります。

当時は、両親が社長で自分は一兵卒の従業員
更に、兄や姉も出戻っており
毎日、お店を辞めるように言われており

自分も結果を出さなければ
またまた路頭に迷う寸前でありましたが

ここでも、運のいいことに
奇跡の逆転ホームランが放たれるのです

ごく普通の男性客が食べ終えると
「フジテレビの者です」と

2010年12月でした
当時「テレビに紹介されて繁盛にする」と
妻や息子に誓った約束を
2年かけて果たすことが出来ました

自分が画面で存在する一番古い映像
うーん、まだ若い(笑)

初めて、「ねぎとろ番長」が紹介された
雑誌に関するエピソードは
ちょっとばかり泣かせるものであります・・・・

「ねぎとろ番長」そこまでこだわる理由は?それは家族の愛です

何故、私がプレスリリースにこだわるのかと言えば、
勿論売り上げを伸ばしたいお店を有名にしたい、
有名人のサインが並んでいるお店にしたいなどの
利益に重視の思いも確かにありますが、
かつて勤めていたお店の売り上げが下がり
給料が遅配・減額が続きたのを機に
プレスリリースをはじめたのがきっかけでありました。

そして、初めてグルメ雑誌に紹介された頃、
もう8年ほど前になりますが、

家族で本屋さんへ行った際にお店が
紹介されている雑誌が山積みされておりました。

すると当時小学生低学年と幼稚園の息子2人が
「お父さんのお店が載っている本だから宣伝するんだ」
言いお店紹介されるページを開いて何冊も並べていきました。

当然親として叱らなければいけないのですが、
息子たちが自分を応援している思いが伝わり
人目はばからず涙を流してました。

そして、必ずテレビに紹介されて有名人に来店してもらい
行列の出来る繁盛店を必ず作ると誓いました。

恐らく、今現在でもテレビなどに紹介されると
当たり前ですが誹謗中傷にさらされますが

そんなのどこ吹く風で黙殺出来るのも
この一件から言いたい人間には言わせとけ
支持してくれて来店してくるお客さんだけに
目を向けて営業しようと

その営業姿勢は未だに変わらぬ普遍に想いであります

「ねぎとろ番長」と共に生涯現役宣言!

誕生して12年余り
少しばかりの「ねぎとろ番長」誕生秘話を
綴らせていただきました。

体の続く限り
お客さんからのご注文がある限り

自分は「生涯現役」で!

これからも「ねぎとろ番長」を

作り続けます!!

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