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もし力道山が暴漢に刺されなかったら?
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本日は12月15日、昭和のプロレスファンにとっては「力道山先生の命日」
昭和の時代は、全日本プロレスと新日本プロレスの2団体時代で
お互い、引き抜きや中傷合戦で仲険悪なのに何故か12月10日前後に
両団体とも興行収めとなって来年の興行へ向けるのですが
ですので、12月15日になると必ず池上本門寺(力道山先生のお墓あるとこ)で
馬場さんと猪木氏が握手して「来年こそオールスター戦や対抗戦やろう」と談笑して
当時は、小学生だったので当然大人事情など知る由もなく翌日には
本当に、オールスター戦や対抗戦やるんだとクラスメイトと盛り上がるも
普通に年明けると両団体ともシリーズに突入してましたが
まさか、両巨頭の絵作りだったと気づくのは数年後でありました。
アラフィフの自分は、さすがに力道山先生のファイトはテレビでかしも白黒で見ただけなので
その雄姿はしらないのですが、「日本プロレス界の父」であることは間違いなく
恐らく、自分世代以上にクイズで「日本最初のプロレスラーは?」と出題したら
ほぼ90%は「力道山」と答えるのではないでしょうか?(実際は以前にも居たようですが自分も詳しく知りません)
日本のプロレス界に礎を築いた超カリスマの存在でありましたが
後々ファンになり書籍などで知る力道山先生は良くも悪くも超治外法権!
今の時代ならコンプライアンスやパワハラで追放されていたかもしれません
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そんな、力道山先生らしく最後はクラブ内のいざこざで暴漢に刺されて
最後は手術成功するものの、不死身の肉体を過信しての
好物の三ツ矢サイダーや寿司を平らげてか病状悪化で死亡したというのが定説ですが
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当時の夫人が「私が付き添って絶対にそんなことはあり得ない」とコメントしているので
これは完全に「プロレススーパースター列伝」での刷り込みでしょう。
ちなみに、自分も春先に力道山先生と同じ【腸閉塞】になり手術受けましたが
入院前の痛いこと痛いこと刺された後もレスラーのプライド保つためとは言え
あの苦痛に耐えるとは流石でありますが、自分は術後も反面教師で
大人しく三ツ矢サイダーや寿司平らげることなく無事に済みました(笑)
今回は、「もし力道山先生が暴漢に刺されないで生き続けていたら」
これは、歴史に「if(イフ)」はありませんが空想巡らせずにはいられませんでしたので
今回は、力道山先生がそのまま生き続けていたらプロレス界はどうなったかを勝手に考察いたします。
力道山が生き続けていたら?【日本プロレスの一党独裁】が令和まで続くかも!
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実際に、お亡くなりになった当時は、プロレスだけに収まる存在ではないので
マンション・ホテルや旅行会社やゴルフ場やF1のサーキット場も計画中とのこと
当時、小学生だった頃に「東京ディズニーランド」出来ましたが
力道山先生ご存命ならオーナーだったのでは本気に思わせるほどの事業熱でありましたが
突然の死
金融機関もそうですが、自分も経営者の端くれなのでよーくわかりますが
金融機関は「晴れた日には傘を貸し、雨の日は傘を貸さない」
要するに、プロレスが盛況で自ら経営しているワンマンオーナーだからこそ
金融機関も融資を行いますが、亡くなった途端に融資はストップ
更に当時の相続税は80%、資産にかかる税金なので
建設中の建物・施設にも莫大の税金が資産額は200億円だったそうなので
生き続けていたら、後々にバブル景気もあったので大成功を治めたかもしれませんが、気になるのはプロレス界であります。
力道山先生死後は、当時のプロレスは衰退するというのが大方の予想
当時の社員たちも「プロレスが真っ先に店じまい」すると
プロレス興行会社から蜘蛛の子散らすよに逃げ出したそうですが
実際、事業で残ったのはプロレス興行が最後(昭和48年まで)とは皮肉なものです。
そのプロレス界は、2人の傑出したレスラーの登場によってV字回復していくのです。
そのコンビは「B・I砲」
ジャイアント馬場とアントニオ猪木
この両雄によって後々分裂するものの
その後は弟子たちが様々な団体を起こして多種多様なプロレスを展開して
90年代には再びプロレスブームがやってくるのですが
それは、力道山先生が死去したことによってですが
もし、生き続けていたらどうなっていたか
きっと令和の時代まで「日本プロレス」が存続していたかも!
馬場さんや猪木さんがどうなっていくかを勝手に考察開始です!
馬場さんはハワイに永住、猪木氏はブラジルへ強制退去!
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力道山時代も自分は知りませんが、日本プロレス時代の両雄も見たのは後々のVTR
自分が熱心に見た頃は超対立時代で団体もそうでしたがファンまでもバチバチな関係
そんな2人が活躍していた「日本プロレス」大盛況で興行数は300近かったそうです
更にテレビ局が2つ中継するという事態で放映料も2倍と力道山時代よりも
興行会社としては稼いでいた時代でしたが、そこの存命していた力道山が関わると厄介に
プロレスラー力道山は超カリスマでファンの心を摘まみましたが
人間力道山はどうも問題ありの人物だったそうです
酒癖が超悪くて、その筋の方とのトラブルも後絶たなかったり
渋滞していると道を他の車をぶつけながら走行したりと今の時代なら一発退場です
生前、馬場さんの一言が全て物語っております
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「先生(力道山)は人として何一ついいところがない」
嫉妬深いのも人一倍のようで、海外で大活躍する馬場さん(今の大谷選手と同等らしいですよ)を
妬んで相当な仕打ちをしたそうで、更に追い打ちをかけるようにギャラのピンハネ
馬場さんがやたらと人に対して警戒心半端ないのは力道山の仕打ちが関係しているようです。
そんな人物なので、当人(力道山)も当然ですが年齢には勝てません
当時20代で現役バリバリの馬場・猪木と同等のファイトは当然無理
会社やビジネスなら後進に道を譲るという選択肢もあるのですが
プロレスラーのトップを務める人間はプライドが人一倍高い人間
と言うか、そのようなタイプでないとトップが務まらない世界
なので、いつまでも自分がトップに立ち続けるでしょう
で、厄介なのがご子息もプロレスラーであります。
長嶋監督や野村監督も我が子可愛さに自球団で寵愛しましたが
それでもプロ野球は実力至上主義なので限界があるのですが
プロレス界では我が子可愛さでトップに据えることは十分可能ですが
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力道山次男をエースに据えるのでしょうが
申し訳ないぐらい親父のプロレス遺伝子を引き継ぎませんでした
体格も多分165センチぐらいで父親のカリスマ・スター性・華も正直ありません
それでも技が切れるとか空中殺法とか目を見張るものがあればいいのですがそれもなし
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しかも、当時の日本プロレスは2メートル近い大男の荒くれものばかり
写真左からエリック・クラッシャー・ブルーザー・キニスキーなどなど
当時の馬場・猪木が激戦を繰り広げたからこそファンも熱狂したのでしょうが
力道山ジュニアこと次男の百田光雄には荷が重すぎます
しかも、これらの外国人に馬場・猪木がこてんぱにやられたところを
百田光雄が一蹴するプロレスが後々繁栄するか非常に謎です
恐らく、そんな好奇と疑いの目で見られるようになるプロレス界は衰退の一途を辿るでしょう
馬場さんも猪木氏もそんな冷遇な扱いに我慢出来ずに辞表を叩きつけるでしょう。
馬場さんは、10代からの付き合いのある元子夫人と大好きなハワイへ移住
数年ファイトをした後は悠々自適な第二の人生を謳歌するかもしれません。
で、問題なのが猪木氏
良くも悪くも反骨精神の塊なので、きっと新団体を作るでしょうが
実際にも日本プロレス辞めてから新日本プロレスを旗揚げしますが
力道山存命中だと話は違ってきます。当然ですが興行を協力してくれるプロモーターも皆無
当然ですが、テレビ放映など力道山の鶴の一声で実現はほぼ不可能
恐らく、力道山に反旗を翻しての旗揚げは100%失敗に終わり
ブラジルへ強制送還へとなることでしょう。
ですので、後々モハメッド・アリと対戦しますが相手は百田光雄となります。
しかも当時はルールでがんじがらめにされて猪木氏は何もさせてもらえませんでしたが
著書などではアリ側がマフィアを総動員などと噂が後絶ちませんでしたが
力道山先生も同じがそれ以上の裏世界の力がありますので
結果も次男百田光雄が勝つこととなります。
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アリキックは「モモキック」なり後世へ語り継がれます
全てが幻の世界へ!
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馬場さんが「全日本プロレス」猪木氏が「新日本プロレス」を旗揚げしなければ
鶴田・天龍・長州・藤波と言ったレスラーたちはそのまま別の道へと
その後輩となるタイガーマスクも出現しないので80年代のプロレスブームなく衰退へ
三沢や川田・小橋・田上の四天王、武藤・蝶野・橋本の闘魂三銃士も不在
大仁田も出現しないからデスマッチも流行ることなく前田やUWFも発展せず
猪木氏が居なければハルクホーガンは育たないので
後々大勢力となるWWEも出現せず未だに小さい会場で細々興行するレベルでしょう
後々、プロレス界を支えるスターが出現せず
エースの百田光雄と社長はご長男がされるのでしょうが
恐らくプロレスというものが日本から消えてしまうでしょう。
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「ハンセンですよ!」
このセリフを聞いてからファンになった自分も力道山ご存命なら体験出来ないでしょう
うーん、空想ですが
もし力道山先生が生き続けていたらこのような最悪な結末にと思わずにはいられませんね
これもなかったことに!【力道山13回忌追善興行】
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力道山が存命なので当然こちらの興行も幻なのですが!
この日の興行は何と【全日本プロレス】vs【新日本プロレス】が都内で同日興行!
しかも両団体が10000人規模の会場で行う仁義なき興行戦争
こちらの記事もいずれは詳しく解説出来る機会があるといいですね。
少し伏線となりますがこちらの記事が当時の時代となっております
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本日も最後まで読んでいただきありがとうございました
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