命日なので今更だけどジャイアント馬場【16文キック】徹底解説!

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本日のお題

1月31日【ジャイアント馬場】さんの命日

1990年1月31日16時4分は、自分にとっては一生忘れない時。

そう、今更ながらですが、本日は馬場さんの命日で、早いもので24年。20代で独身だった自分も50歳を越え息子も成人するほどなので長い年月ではありますが自分は未だにこの日はちょうど休憩時間とういこもあるので、毎年大福を食べながら独り【王道忌】を偲んでおります。

ちょうど、この1月31日前後に日本テレビの「笑点」で、故6代目三遊亭円楽さんが挨拶の時は必ず馬場さんの思い出話を語りますので、自分も必ず思い出す日々でありましたが、今年はそんな円楽さんの挨拶からの思い出話は残念ながら聴くことは出来なので、本日は自分が何て言ったらおこがましいですが、馬場さんの記事を。

馬場さんと言えば、前途の甘いもの大好きや葉巻や麻雀・読書家・絵画の達人などなど、規格外の体格や晩年のバラエティー番組しか知らない方にはご存じない顔もたくさんありますが、今回はプロレスファンで全日本プロレスファンで馬場ファンだったので、今年のお題は【16文キック】でスタートであります。

足のサイズ34センチなのに何故16文(38センチ)と呼ばれるのか?

やっぱり、馬場さんのプロレス技の代名詞と言えば【16文キック】

正直言えば、自分が見始めた頃はかなり年齢を重ねていたこともあり、かなりスローモーションでの技でありましたが、20代でバリバリ動いていた頃の躍動感は半端ありませんでした。だてに元プロ野球選手ではありません。

で、何で16文と呼ばれるのか?
自分世代だと文という単位はほぼ目にすることはありませんので、一体何センチなのかと疑問に思ったものですが、

1文は約2.4センチなので

16文だと約38.4センチとなります!

ですが、実際の馬場さんの足のサイズは34センチ。これでもかなりの規格外ですが、馬場さんは子ども頃から体が大きくなり困ったのが靴でありました。出身は新潟県と言うこともあり冬は厳しい寒さの中でも靴がなく草履だったそうです。そこで、宣教に来ていた神父さんが靴の上に履く今で言うカバーシューズなのでしょうか。それをいただきとても喜んだそうです。ですのでその縁でモルモン教に入信したそうです。

話がいつも脱線してしまいますが、そんな靴に困った馬場さんが海外遠征へ行くとアメリカということもあり大きい靴もあり馬場さんに合う靴もあり海外で購入したので、この16と言うのは外国のサイズの規格だったそうで、これを日本の記者が勘違いして16文と解釈して、その足から繰り出されるので【16文キック】と名付けられたそうです。

ベスト【16文キック】はこれで決まり!

画像粗くてすいませんが、【ベスト16文キック】はこれで決まりと言うか、馬場さんファンなら異論はないはず。1982年2月4日の東京体育館での試合。試合早々にお互い体をぶつけ合ってからの【16文キック】お見事であります。こちらの動画がありますので、まばたきせずに見てください(笑)

開始早々の16文キック…必見です!

最後は、昭和の古典芸能?
ジョー樋口さんが乱入に巻き込まれてのドロー試合ですが、綿棒のように頭ぐりぐり両者に入れて小学生だった自分は「何で余分なことしやがって」と本気でテレビに叫んでいた純粋だった時代が懐かしいです。

【ベスト16文キック】不正疑惑???

この試合が1982年ですので、恐らくその8年か9年後ですね。この試合をプロレスファンの友人と話題になり、自分があの試合の16文が一番インパクトあると話すと、その友人が何と

「あれは、足が上がるように手術したんだよ」と衝撃発言!

当時は、その話をなんの疑いもなく信じておりました。と言うのも、その時代の馬場さんの16文はロープやコーナーポストに寄りかかって相手が思い切り助走つけてからの16文だったので、より信ぴょう性あったのかもしれません。

晩年は、まさにこんな感じでした。

で、時は流れ2019年に【ジャイアント馬場没20周年興行】がありました。もう何年も会場に足運んでおりませんでしたが、超久しぶりに会場へ。その会場では当然のように馬場さんの雄姿の映像が、安定のブリスコへのネックブリーカードロップなどの映像と共に、先ほどの画像のハンセンへの【16文キック】の映像が、そこで一緒に見ていた友人と「あれは足上げる手術したらしい」よと、さも自分が得た情報のように話したのですが。。。。。。

でも、よーーーく考えると!

日時が合いません!

と言うのも、1981年12月13日に2:30のところで馬場さんが

「ふざけんるじゃないよ!」激怒しております!

この乱入劇の詳しい記事は、こちらで延々と語りつくしておりますのでご参考に!

そして、翌1981年1月2日には全日本プロレス「新春ジャイアントシリーズ」がスタートしております。余談ですが当時は全日本プロレスと新日本プロレスは犬猿の仲。ですが、ライバル団体の新日本プロレスも1月興行は「新春黄金シリーズ」で本当に仲悪いのかと。ちなみに「ジャイアントシリーズ」と「闘魂シリーズ」も10月に開催お互い話し合ったとしか思えませんが。

2度目の話脱線でありますが、と言うことはオフは3週間足らずです。

どうやって手術してリハビリするんだ?

との疑問が20年以上経てふつふつと湧いてしまいました。

つい先日、疑惑が無事に晴れる!

手術して【16文キック】の足上げ疑惑となりましたが、その疑惑が晴れることに???

それはつい最近で、この足上げ手術の話をした方と友人の葬儀の場面でお会いして馬場さんの命日も近かったこともあり、覚えているかわかりませんが聞いてみると、どうやらその方も人づけてに聞いたそうです。

まあ、よくある都市伝説の類ですかね。確かにネットのない時代はこのようなよもやま話も普通に信じられる時代かもしれません。小学生の頃「口裂け女」が話題で夜道は一人で歩けない状態ですが今の時代なら笑い話ですが当時はガチで信じられていたので馬場さんの「16文足上げ疑惑」も心ない反馬場・新日ファンから噂が広まったのでしょう。

その友人も、日時合いませんよね言うと「そうだよな」と納得して無事に解決となりました。

馬場さんの意地が放った【16文キック】!

この当時の馬場さんの取り巻く環境はかなり厳しいものでした。前年には社長を実質解任されて日本テレビから出向の方が社長となります。ライバル団体の新日本プロレスに大きく人気で水をあけられて、馬場さん自身も40歳を越えてこの頃はかなり動きもスローで好奇な目で見られ始めておりまし。そこで一矢報いたのが「ハンセン引き抜き」でした。

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べたな言い方すれば、「馬場さんの意地の一撃!」

これに尽きると思います。この試合前の状況は、ハンセンは猪木だから名勝負が出来たとかハンセンに殺されるという声が大半を占めておりました。小学生だった自分はこの頃はプロレスは殺し合いと信じて疑いませんでしたから、本当にハンセンに殺されるかと心配しながら見ておりました。

そんな、逆風を見返すには自らのファイトしかないそんな馬場さんの意地ではないでしょうか?
丁度、社長交代劇がありその社長が「馬場さんにはプロモートに専念してもらいたい」とコメントがあり、本人はまだまだやれるそんな意地の一撃が当時は16文はお腹のあたりへ蹴り上げていたのが見事にハンセンの顔面に蹴り上げと自分は信じて疑いません。

来年は恐らく、ブリスコに放った「ネックブリーカードロップ」でしょうかね。32文やヤシの実割りは自分はあまり目にしていないので、難しいかもしれませんね。次回は2024年1月31日16時4分に更新です。(馬場さんの記事で一応こちらのブログは勝手に継続です)

【番外編】馬場さんはグレート草津が大嫌い!

今回の記事を書くあたって色々検索していると、こちらの動画に行きつきましたが、ハンセンへの16文はプロレス風と表現するならば、こちらの16文は正に「キラー馬場」の真骨頂であります。

助走入れてからの思い切り顔面へ、馬場さんはグレート草津が嫌いなのか?

当時馬場さんは日本プロレスに、そして1963年にライバル団体の国際プロレスがエースとしてグレート草津を抜擢しますが、2,3年前は馬場さんの付け人でしかも大の練習嫌いで日本プロレスも10試合ほどして離脱して海外でもろくに修行もせずに帰国して第一声のコメントが「馬場さんと同格」発言。

人一倍?言動に根を持つタイプの馬場さん(猪木にも同様)ですのでこの時とばかりに、えげつない16文を放ったのでしょう。4の字固めも頑なに受けませんでした。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました。

コレ、今読まなくちゃ!

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