背筋も凍る暇もない通帳残高8円の世界!
50歳から30キロダイエットを開始
【16時間断食】を中心に半年で達成することに
飲食店経営とうことで
食材は左右10センチに満たないところに
そんな過酷な環境で達成したのも
今までの苦労に比べればダイエットの方が気が楽??
そんな、波乱万丈な?プロフィールのご紹介です
苦節!皿洗い人生20年
現在は、横浜市内でバンバン番長という
20席ほどの小さい居酒屋を経営しておりますが、
元々は両親が営む青果市場内の
小さい食堂が自分の原点であります。
そんな語り口だと、
格好いいですが実情は皿洗いの日々。
修業時代も要領が悪く不器用だったので
毎日毎日いじめの日々。
相撲の可愛がりと同じで親方や上の先輩は
何もしませんが直近の先輩が
いじめるのは世間の常識かもしれませんね。
そんな年月重ねた頃には38歳。
妻も息子2人のに職業皿洗いでは
余りにも情けないですが、
当時はそのような有様でした。
この方(百田光雄さん)と同じで万年前座生活であり、
今のように自分でお店を切り盛りするなど
当時は1ミリも思っておりませんでしたが、
転機が訪れました。。。。。。
【ねぎとろ番長】誕生秘話
2008年でしょうか、アメリカでリーマンショックと騒がれた頃。
証券など所有してないので対岸の火事だと思っておりましたが、
その頃から日本でも商店街がシャッター街になるというニュースが話題に。
お店は、市場の人たちで支えられての営業だったので、
当然ですが売り上げは一気に下がり続け給料の減額・遅配は当たり前に。
ですが、台所事情もわかっているので両親に言えるわけもなく、
当時は息子のランドセルを購入するのも一苦労。
一番辛かったのは、息子のサッカー教室の泊まりの合宿費がない。
それも僅か10000円でした。ATMには9000円ほど、
残り1000円は小銭を預金したものをATMに入れて
お金を最終的にねん出しまいたが、
そんな金銭的にも厳しい時代を
どう乗り切るかで40代手前の男は決断しました。
このままでは、お店は潰れるのは時間の問題。
市場のお客さんは減る一方。
だったら駐車スペースは腐るほどあるので、
車で来てもらえるお客さんを集めようと提言。
ですが、どんな策があるのか全くないのですが、
このままでは本当に家族が路頭に迷う。
自分も原発やマグロ船で働かないとと思い。
行動に移すも、当たり前ですが、
社長で経営者の両親は大反対。
自分が辞めるまで、
いや今のお店になっても様々な妨害続きましたが
それでも、自分で食材は負担するという条件で
自ら料理を出すようになりましたが、
今でこそお店の外にも列が出来ることもありますが、
当時は誰も知らないお店。
市場内でも奥の奥にある陸の孤島の食堂。
当たり前のように両親や兄弟にバ●にされましたが、
嫁さんだけは「自分のやりたいようにしな。
ダメならマンション売って実家に居候すればいい」
といつも自分の行動を応援してくれる嫁さんには頭が上がりません。
2008年から料理を作り始めて、
嫁さんに必ず3年後までにテレビに紹介されて
行列の出来るお店にすると誓ったのですが、
今思えば実現してけど当時は自信も
根拠もないのにと思いますが、
思考は実現するは本当なのかもしれません。
その誓いから2年後には、
本当にテレビの取材が翌日には行列が出来るお店に。
それは2010年のこと、
「ねぎとろ番長」というメニューが頭に浮かび、
試作を重ねてこれは絶対世間受けする。
絶対に注目されると根拠のない自信で販売。
販売して半年後に、
食事終えたお客さんが突然名刺を差し出し
「フジ●●ビの者です。ぜひテレビで取材させてください」と!
この頃は、若くて痩せてました(笑)
その前にTVK(テレビ神奈川)はありましたが、
民放の出番は初でした。
数年後は、夫婦で「ねぎとろ番長」誕生秘話を自ら演じることに、
今となってはいい思い出です。
涙が溢れた!息子との公約
話は、少し遡りますが、
テレビに紹介される前にグルメ雑誌の紹介されました。
「神奈川庶民食堂」というもう10年以上前のものですが、
当時書店に山積みに置いてあると
まだ、小学生と幼稚園の息子2人が
「お父さんの料理が載っている本だ」と言い
山積みされた本を
「お父さんが紹介されたページにして並べるんだ」
と言い
周りの、料理の出ているページをどんどん並べていきました。
本当なら、親として書店に迷惑かけているから
注意しなければいけないのですが、
息子たちの健気な姿を見ていたら
人目はばからず涙が溢れてしまい
そして、必ずテレビの紹介されるお店にし
息子に誇れる父親にと固く誓たのですが
もし、嫁さんが背中を押してくれず、
このような一件なかったらお店を出すことも、
いや仮に出したとしてもすぐに潰れたでしょう。
この後も、デパートの物産展に誘致されたりと
順風満帆に人生が進み。
このまま家族幸せにと思ったのですが
世の中そんなに甘くはありません。
出る杭は打たれる。
ここから2013年までは右肩上がりのでありましたが
気づけば自分は一従業員の一兵卒。
しかも、上の兄弟も出戻っていたので、
当たり前ですが今までは早朝からの仕事。
休みは少ない。
給料も少ないそんな環境だったら
見向きもしませんが金が降ると
なったら話は別なのであります。
両親からリストラ宣告!路頭に迷い戦力外の男に!
2013年の5月、デパートの物産展も無事終えて、
これは今までの人生で一番ハードで
7時に出勤して夜中1時とかあり得ない労働条件!
ですが、周りから認められたという気持ちと、
一従業員に声をかけてもらえたのは
かけがえのない経験となり、
更なる飛躍と思ったのですが
この頃になると、
自分のメニューの注文が多くなり両親の作ったメニューが
ないため毎日怒られるように。
「こんなメニュー(ねぎとろ番長」は出したくない」
「テレビに出てみっともない」
「早く4ぬか辞めてくれ」等々
毎日、毎日言われて
自分としても人564や窃10などで
新聞やテレビに出るのは確かに
家族に迷惑になるのですが、
料理で紹介されるんだからと思うのですが
そのムーブメント(表現正しいのかな)は
兄弟や身内にも広がり、社長や経営者押しのけとうい
風辺りは凄く、新しいお店出すまでの
10か月ほどは地獄の日々でした。
最後は、包丁突きつけられて
「4ね、56す」と両親に言われ、
元々お店は兄や姉に譲りたかったと
言われ続けて覚悟を決めました。
両親ともに超がつく大金持ちに生まれて、
付け人の大人が何人もご機嫌伺い、
勉強もスポーツも1番そんな人一倍
プライドが高くエリートが、
見事にその遺伝子受け継がない
出来が一番悪い息子の注文が
入るのが苦痛だったのでしょう。
ただ、今自分が同じようにお店を経営していると、
両親の選択はビジネスとしては間違ってないよなと
実感しますが当時は明日から家族の生活どうなるんだよとの不安。
当たり前ですが、20年以上勤めましたが、
ねぎらいの言葉も退職金も1円もなし、
全ての権利は放棄させられ兄弟へと渡りましたが、
逆に自分の親兄弟からクビになって
無一文で成功したらサクセスストーリーと
思えば何とか割り切れました。
ですが、売り上げが下がって、
生活苦だった時の借金もあり、
やっと売り上げ伸びて返済に充てていたので、
独立する資金などもなく苦悩しましたが
ここでも、嫁さんが
「借金してお店やろう」
と背中をまた押してくれました。
またまた頭が上がらくなりました。
靴をすり減らし、30件目でやっと融資先が決まり。
42歳での独立。
思い切り厄年今にして思えば
最悪の船出だったのかもしれません。。。。。。
開店3か月で通帳残高は8円に!
何とか融資を受けて開店へ、
物件も丁度いい広さで横浜スタジアムにも近く、
一国一城の主としてデビューするのであったが
しかし、料理を作ることはし続けるも
経営者としては素人。
そこで様々なセミナーなどに参加したのですが
これが結果的に大きな傷口に。
色々アドバイスなどを受けるとそれを全て信用してしまい。
気づけばその男にいいようにお金を無心されてしまい。
問い詰めるころには連絡がつかない有様。
詐欺と思った頃には後の祭り。。。。。
開店3か月で通帳残高が8円に!
この時ばかりは本当に潰れることを
覚悟しましたが融資を頼んだ
金融機関が融資をしてくれて何とか生き延びましたが、
この時融資してもらえなければ確実に終わってました。
この頃は、毎日が金策の日々で、
バイクで通勤してても金策で頭が一杯で、
何度も赤信号なのに直進して
危うく事故という場面は1度や2度
どころでありませんでした。
今でこそ「3年B組金策先生」などと笑い話に出来すが、
当時は毎日が地獄の日々でしたね。
そんな、どん底を救ってくれたのが、
開店間もないお店にも関わらず常連で
何度も足を運んでくれたお客さんたちでした。
このように、事あるごとに大宴会を開いてくれて、
少しづつですが、売り上げも上がり、
何とか1年後には黒字化にまで漕ぎつけましたが、
この時のお客さんの支えなければ倒れておりました。
そして、今回もテレビの取材も飛び込むことで、
少しづつお店も知れ渡り何とか経営を続けて
そして、遂に店名の由来でもある
あの方が来店するのであった。。。。。。。。
番長がやって来たYa、Ya、Ya!
オープンしてから2年ほど過ぎて、
お店は少しづつ浸透してベイスターズ元選手の
皆さんまで来てもらえるようになりました。
そして2016年7月14日。やはり当日も雨でした(笑)
天気も悪いし夜は暇かなと思いながら
お店開店してから30分ほどして、3人のお客さんが
見たら、番長????
絶対本物だし
見間違えるわけないしな!!
来店するなり
「なかなか来れなくごめんな」と言い
着用されたユニフォームにサインを入れて
プレゼントしてくださりました
世界1着だけの貴重品なので、
額縁だけは奮発しました(笑)
当日は、注文いただいても緊張緊張で
玉子焼きの注文あった時は
焦がしてはいけないと思うのですが
そんな時に、電話が鳴ったりと
1時間ほど嬉しいと言うより
プレッシャーの方が勝りました。
推測ではありますが、
この年の10月に引退されているので、
現役中に来てくださったのかなと!
自分と違い、鍛えた体で一目瞭然!
少しは見習わないといけませんね。
2022年3月25日までに
背番号81(キロ)にして
優勝祈願とさせてもらいます。
※一応、公約は果たして80キロ切ることに!
コロナに負けずにダイエット!
何度も何度も、危機を迎えながらも乗り越えてきた
2020年は順調にスタートしたのでしたが、
コロナで全て環境が変わってしまいました。
1月、2月は過去最高売り上げ
忘れもしませんが、黒岩知事が自粛の宣言した
当日はランチ売り上げ新記録と好調だった
お店は3月半ばを境に転がり落ちていきました。
お客さんが全く来ない!
4月になると自粛ムードがまん延。
ランチだけの営業となりましたが
営業すればするほど経費がかかり赤字の日々。
そして、人生初の週休2日で土日は
遂に休みにしたのですが、
ここでまたまた波乱が。。。。。
当然、この年のGWは人も出ることもなく
お店も休業となり、用事でお店へ行くと、
心ない書き込みが、それをネットに上げたら
まさかの取材殺到????
この関連で恐らく10社以上は来たでしょうか
通常時なら売り上げにもプラスなのですが、
こんな時期なので逆に見た馴染みの
お客さんから過剰に心配さることに。
裏話ではないですが、こちらを取材した
若いスタッフさんが物凄く正義感あって
「許せないから警察行きましょう」と言い出しましたが
恐らく、お店辞めた後も様々な妨害受けていたので
親兄弟が人に頼んでやったと思っていたので、
事荒立てるとそれこそ恥なので、
適当な理由つけてお断りましたが、
テレビで紹介される度に、
営業するな潰れろと脅迫の電話が続き、
それが今の電話嫌いへと繋がったのでしょう(笑)
暗いニュースばかりでしたが
この年に番長が監督に就任。
これでコロナも収まれば、もう一度お店も勢いがと
思ったもののコロナは終息が見えず、
監督1年目のベイスターズは様々な不運も重なり最下位に。
正直、シーズン中は見るのもそむけたくなる試合も数々あり、
こんな監督やベイスターズ見たくないと
思った今シーズンに向けて
球団はコーチには優勝時のメンバーが終結
選手も大型契約でチームに残留
昨シーズンは外国人不在でしたが
今年はきちんと来日して準備万端。
優勝目指して本気モードが伝わると同時に、
自分のような末端が何が出来るかと
球場に看板出せとか
シーズンシート購入して
球団に貢献するのが近道ですが
残念ながら、そんな予算の余裕もなく
自らも戒める覚悟もあり
番長の背番号81(キロ)まで
ダイエットすることを決意し、
2022年からそちらを中心に記事を更新しております。
2021年10月時点では110キロ
若ければ相撲部屋からスカウト
来るレベルでありますが、
そこから、覚悟を決めて
半年間のダイエットで80キロ台に!
50歳のおっさんでもダイエットすれば
半年で30キロ痩せれたことは
違った意味で自信となりました
と同時に、同じような
100キロ超えとかでダイエットに悩む
そんな人たちに少しでも
役立つ記事を今後も発信してまいります。
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