プロレスの日の由来とは?
月19日は「プロレスの日」です。1954年(昭和29年)のこの日、日本で初めてプロレスの本格的な国際試合が東京の蔵前国技館で開催されたことに由来しています。
恐らく自分も含めて多くの方は、この日が日本で初めてプロレスの試合が行われたと思っている方多いはず。それどころかそのまま知らずにお亡くなりなった方も相当数だと思います。
自分も普通にそう思っておりましたが、自分が全日本プロレス中心にプロレス好きなってからは過去にさかのぼって知識を得たらどうやら明治時代から興行自体は行われていたそうです。
しかも「プロレスの日」と銘打ってますが、その数日前に大阪にて試験放送的に別団体「全日本プロレス団」が中継されたのが初めてだそうです。
※この全日本は馬場さんの全日本とは全く無関係団体です
この日の試合は、力道山・木村政彦とカナダ出身のシャープ兄弟とのNWA世界タッグ戦でした。当時、日本テレビとNHKが試合を同時中継し、新橋駅西口広場の街頭テレビには約2万人が集まったそうです。
また、この日戦った力道山は、日本のプロレス界の礎を築いた最大の功労者といわれており、「日本プロレス界の父」とも呼ばれています。
創成期の中継だからこその面白エピソード
1954年2月19日の蔵前国技館にて「力道山・木村政彦vsシャープ兄弟」を中継。何と当日は日本テレビと別にNHKも!これだけでもプロレスがテレビコンテンツとして優秀だったと言えます。先駆けてテレビが導入されたアメリカでもプロレスが重宝されたそうなので、勧善懲悪で他の格闘技より動きもあり色々と融通の利く点は万国共通だったのでしょう。
当日はテレビカメラも2台だったので、恐らくほぼ固定だったのでしょうが、当然スタッフも初めてだったこともあり、何と当日のスポンサーは明治製菓だったのですが、それが生コマーシャルだったそうですが
中継後に、スポンサーへ謝罪へ向かったのは言うまでもありません。
ここから70年経て今の時代はほぼプロレスが深夜以外で地上波中継されることは今後なさそうですが、これだけ熱狂させたプロレスをそのまま錆びつかせるのは何とも寂しい限りです。
プロレスの灯は消えることなく
脈々と受け継がれていけることを
説に願います
コメント