【プロレススーパースター列伝】では全日本=悪、新日本=善
普段は20席ほどの小さい飲食店をやっているので記事を書いておりますが全くの素人の趣味レベルですのでご了承ください。自称?「日本一細かいプロレススーパースター列伝」ネタを書いております。
こちらのブログに書くようになって、それこそ30年以上ぶりに列伝を読破。
改めて読み直すと令和の時代になっても気づきが得られます
流石は「プロレススーパースター列伝」です!
で、今回の気づきはこちらの本作品はアントニオ猪木監修(実際は読んでもいないそうですが)と謡うように当時の新日本プロレスと深い間柄の影響が絶大で、自分は大の全日本プロレスファンだったので当時から扱い描写の格差を感じておりましたが、特に馬場さんのお友達とも言えれるレスラーたちの扱いの悪いこと悪いこと。
- ザ・デストロイヤー
- ハーリー・レイス
- ニック・ボックウィンクル
- ブルーノ・サンマルチノなどなど
特にデストロイヤーとサンマルチノは本当にレスラーと言うより盟友だったこともあり、まるで実力はないけど人気だけのトップレスラーとほぼ断言しておりますが、果たしてサンマルチノってそんなにダメ外国人なの?
ただ、自分も実際のファイトは全く見たこともなく、晩年の馬場さんとのタッグマッチを見たぐらいですが、「か〇ら」なのかやたらと髪の毛ばかり抑えながら試合してて自分は集中して見れませんでした(笑)
今回は、そんなサンマルチノダメっぷりをファーカスした記事となります。
これも、読みたい(需要)と思う方いるのだろうか・・・・・・・・
【プロレススーパースター列伝】哀れ!人間発電所ブルーノ・サンマルチノ
1976年4月26日に「サンマルチノvsハンセン」が行われますが、ここで大事件が!
確かに、サンマルチノというレスラー自分も正直言うと何が素晴らしいのか全くわかりません。技も殴る蹴るの攻防ばかりで技らしい技をほぼ出しません。確か親友の馬場さんもレスラーとしてはあまり評価していない印象が。
必殺ウェスタンラりアートがさく裂!
後々も語られる。
ブルーノ・サンマルチノの首をへし折った試合であります。
当時は、インターネットなど皆無。海外の情報なんて全く入りません。
ですので、当時のプロレス少年は全てこの「プロレススーパースター列伝」のこちらの描写を信じて疑わず、実際はボディスラムの投げそこないで負傷したと知ったのはそれこそ21世紀になってかもしれません。
それぐらい、当時はいい意味でファンタジーや空想を膨らませた時代なのかもしれません。
試合結果はドクターストップのKO勝ちなのですがタイトルは移動しない不可解さで、ここでも弱い王者像を植え付けさせます。それにしても実際とはかなりかけ離れた試合描写であります。
復帰後にリターンマッチを受けて、ハンセンが負け越すまで闘い続けますがその試合方式にも様々なからくりを仕込んでとのことですが、昔読んだハンセンの著書によると「この試合でショック死したファンが7人いた」とのこと。自分はこちらの方が信じがたいのですが。。。。。
こちらの詳しく書かれておりますので、間違いないでしょう。ですが、サンマルチノは人格者で自分を出世させてくれた恩人とも語っております。全日本にサンマルチノの息子(自分より小さいくてとてもレスラー向きではないです)コンビニの袋持って会場入りするところを目撃したので、てっきりハンセンが親父の怨みでパシリにしると思っておりましたが全くの誤解のようでした。
これで終わらない!最弱王者サンマルチノ伝説
対戦相手の不注意で首を負傷したにも関わらず、ラりアートの餌食で首を負傷した上に、保身のために自分の有利なルールで戦うとの描写で綴られておりますが、こちらではまだまだ終わりません!
今度は親友のスタンハンセンの敵討ちに、超獣ブロディが登場。テレビ局のスタッフに宣戦布告。
WWWF(当時)上層部が慌てる様子が、【プロレススーパースター列伝」ではこのような秘密会議のように裏工作を行るシーンも度々登場いたします。次は、この「謎の密談会議編」もいいかもしれませんね。って誰が読むんだ(笑)
テレビで大風呂敷しかれたおかげで、試合に逃げるわけにもいかずに渋々試合を承諾した模様。
当時は、全て本気にしておりましたが、プロレスといものは殺し合いでも真剣勝負で力を競うものではありませんので、あくまでもお互いレスラーの信頼関係が成り立ってこそ素晴らしい試合が行われるですが、とことんサンマルチノは最弱をアピールし続けます。
とにかく弱い世界チャンピオン。小学生だったので全て「プロレススーパースター列伝」が真実であります。
最後は足蹴されて試合終了。どんだけ弱んだサンマルチノ!
でも、そもそも「人間発電所」ってサンマルチノは東京電力の職員なのでしょうか?
人間発電車ブルーノサンは本当にニューヨークの帝王なのか?
「プロレススーパースター列伝」では見事なまでの最弱ぶりでしたが、実際はどうなのか?
と言っても自分は「プロレススーパースター列伝」が真実で列伝通りに振舞わない当人たちの人生が嘘だと思っておりますので、あくまでも「プロレススーパースター列伝」外のブルーノサンマルチノ伝です。
こちらの日本プロレス時代の馬場さんとの試合ですが、お互い全盛期と言っても差し支えない年齢キャリアでしたが、技はほとんど出ることなく、パンチ・キック・ベアハッグのみ。
今の時代ならとても試合になりませんが、当時は大物通しの顔合わせだけで満足していた時代なので、単調な試合でも誰一人文句を言う人もいなかったのでしょうが、それにしても単調すぎる試合内容です。
こちらの試合が恐らく現役でも最後か晩年のものですが、こちらも相手がシン・上田と言うこともあり、相変わらずの単調な技の攻防で最後は場外戦へというお決まりの試合でしたが、長年のライバル・友情関係をはぐくんだ馬場さんとサンマルチノのタッグだけでファンは大満足なんです。
ですが、自分はどうしてもサンマルチノの頭が気になって仕方ないのですが(笑)
「プロレススーパースター列伝」では災難のサンマルチノですが、馬場さんとの友情話で締めくくりに、サンマルチノが来日中に日本で小さい車に不自由そうに乗っている馬場さんを見て、自宅の自らの車「キャデラック」を空輸で送って「お前に小さい車は似合わない」と言ってそうです。
そして、馬場さんも亡くなるまで、その恩義を感じて「キャデラック」を乗り続けたそうです。
サンマルチノは恐らくアメリカではベビーフェイスとして絶大な人気を誇りましたが、日本では逆に馬場さんたち日本人レスラーがベビーフェイスとなりますので、ご本人もニューヨークとは勝手が違っていたのも日本では受けが弱かった要因かもしれませんね。
サンマルチノは最弱王者ではなく、ニューヨークの偉大なチャンピオンなのだ!
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